書の山稜、力水に感謝-書・刻・雑言<41>
山を縦走する。その至福は来た道を振ふり返り、行く道を見通す稜線上にある。清流が素足を洗うように、白雲が足元を流れて過ぎる細い岩稜。踏みしめてきた群峰を自身とし、遥かに続く山塊を望む。平坦ではない。深く暗い谷が待つ。道に迷う。登り返す気力を失う。
しかしそこに谷川の水がある。「力水」。読者諸賢の「感動した」などとの高評価、御激励に心より感謝、御礼申し上げます。
大謝合掌=おわり
◇「山重なり 水複なりて(路、無きかと疑う)」南宋、陸游「山西の村に遊ぶ」より
◇書=力強く
◇印=「路、無きかと疑い、又一村(邨)」
フジサンケイビジネスアイ2008年09月30日
信頼しよう 夢の卵-書・刻・雑言<38>
禅語「啐啄同時」を教育の要諦とする著録は多い。卵の中で雛がそつと殻を突く。子、生徒の成長発達だ。応じて母鳥がたくと外から打ち返す。親、先生の助言援助だ。その時、タイミング「同時」が大切だ。期待のあまり、尚早に殻を破ってはならない。一人格、可能性、夢の卵なのだ。夢を破れば異形となってナイフを手に職員室に向かう。
見守り、育み、飛躍の好機を待つのだ。信頼しよう。誰もが持つ夢の卵を。
◇「啐啄同時」=『碧巌集』より。好機を得て、両者、相応ずること
◇書=「そつ たく」二音が響き合うように
◇印=「啐啄同時」同出典
フジサンケイビジネスアイ2008年09月02日
迷うこともひとつの手?-書・刻・雑言<37>
(合掌)「これでいいのだ」と赤塚不二夫氏。「……だっていいじゃないか」じゃ相田みつを氏。弱さ、迷いを受け容れ、恕す言葉にはホッとする。
道元禅師は力強い。分厚い掌でドンと背を押す「我が身おろかなれば、鈍なればと、卑下することなかれ」(正法眼蔵随聞記)。こうも言う「大悟也一隻手、却迷也一隻手」。
悟に至るなぞ及び難い。だが迷うことも一手と悟る……か。ややこしい。解らない。それでいいのだ。
◇「大悟也一隻手却迷也一隻手」道元『正法眼蔵』”大悟”より
◇書=解らぬままに朴朴と
◇印=「大悟、一隻手、却迷」ネガとポジ
フジサンケイビジネスアイ2008年08月26日
よき人々、楽しく集う-書・刻・雑言<32>
書道の神様”書聖”王羲之(303~361)の絶品「蘭亭叙」が展覧されている(9月15日まで。東京都墨田区、江戸東京博物館。『北京故宮、書の名宝展』)。
その優美についてはさて措く。文章がよい。朗らかな晴天の下、良き友(=群賢)と若、老(=少長)が集う蘭亭曲水の宴。その歓喜を謳歌する。
二寸五分角の大印材にその名対句を篆刻する。「ようこそ」と友を招く広いエントランスが我が家にあれば掲げたいところだが…。
◇「群(羣)賢、畢く至り、少長、咸、集る」 王羲之「蘭亭叙」より
◇印=(1)75ミリ角、力強く
(2)天、朗らかに、気、清し。同「蘭亭叙」より
フジサンケイビジネスアイ2008年7月22日
土中の重責、軽快を支える-書・刻・雑言<30>
竹林に根切った溝の中で竹根に見惚れる。
小指の太さで走る根は次第に先細るかと目を移すと、なんと次第に太くなる。足の親指ほどに柔らかく膨れ白く光り、1㍍余も続く。表面はまだ枝の根がなく滑らかなので、抽くとズルリと抜ける。一匹の白蛇かと見紛う。美しい。竹の核心部。岩を避け、水を嗅ぐ探知機。最先端の鋭敏な決断者だ。土中の重責が若竹の軽快な繁茂を支える。
「社長さん」とはこの白蛇か?……土に座す。
◇「根、深くして 葉、茂る」「韓非子」「老子」ほか
◇書=隷書 力強く、伸伸と
◇印=「重は軽の根たり」老子 第26章より
フジサンケイビジネスアイ2008年07月01日
“根切り”の汗、愉快愉快-書・刻・雑言<29>
地を掘ることを”根切り”という。植物の根を切って掘り進むからだ。
先日、友人所有の伸張を遮断するための溝を掘った。スコップと鋸と鉈で竹根と闘う。正に根切り。朝露と土と汗で泥まみれだ。「何してんの書道の先生?」と思うと笑ってしまう。愉快愉快、愉愉快快。
荘子が言う。「愉愉(ゆゆ:正しくは新聞記事の漢字)じゃ。無心で作為なく、嬉しく、楽しくだ。そうすりゃ長生き、憂いもなしだ」と。一日の愉愉、ビールが旨い。明日、小筆は提てないけれど…。
◇「愉愉(ゆゆ:正しくは新聞記事の漢字)」嬉しく楽しいこと。「荘子」天道編より
◇書=隷書 楽しく躍る
◇印=「愉愉なれば(者)年寿も長し」 同出典 竹根形
フジサンケイビジネスアイ2008年06月24日
働く壮年、山中の“豪気”-書・刻・雑言<25>
「ゴーキなもんだ」と言う時にこの「豪気」を使う。その剛健な生気を発し、何かを叫びつつ、山を駆け下る男がいる。しかもホロ酔いだ。「濁酒三杯、豪気を発し、朗吟、飛び下る祝融峯」!その威勢やよし。「中華五嶽」の一、南岳衡山はなだらかな山。そのピークが祝融峯だ。昔、友と2人、遊んだ山だ。
さて、痛快なのはこの詩の作者があの大儒学者、朱子学の祖、朱熹である事だ。”さあ仕事だ”麓へ、人の中へと帰ってゆく壮年の姿。
◇豪気=壮快な意気、またすばらしいさま。豪儀とも
◇書=力強く、豪壮に
◇印=「濁酒三杯、豪気を発す」南宋、朱熹「酔いて祝融峯を下る」より
フジサンケイビジネスアイ2008年05月27日
さあ帰ろう、真の自分に-書・刻・雑言<23>
「舟は遥遥(ようよう)として軽く颺(あが)り 風は飄飄(ひょうひょう)として衣を吹く」
寒風を帆に満たし舟は川面を滑る。”さあ帰ろう”古里へ、真の自分に帰るのだ。舳先に立つ男の微笑み。
官を辞して後この男は「力耕、吾を欺かず」と畑仕事に汗を流し「紙筆を好まぬ」不勉強な息子達を嘆きながらも「悠然と」山を愛で「歓然と」酒を、人を愛して生きた。
幸福とは何か分からない。しかし理想像のひとつがここにある。
◇舟遥々 風飄飄 陶淵明 帰去来の辞より
◇書=のびやかに
◇印=閑飲自歓然(しずかに飲みかわして楽しく)陶淵明の句
フジサンケイビジネスアイ2008年05月13日