書の山稜、力水に感謝-書・刻・雑言<41>

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山を縦走する。その至福は来た道を振ふり返り、行く道を見通す稜線上にある。清流が素足を洗うように、白雲が足元を流れて過ぎる細い岩稜。踏みしめてきた群峰を自身とし、遥かに続く山塊を望む。平坦ではない。深く暗い谷が待つ。道に迷う。登り返す気力を失う。

しかしそこに谷川の水がある。「力水」。読者諸賢の「感動した」などとの高評価、御激励に心より感謝、御礼申し上げます。

大謝合掌=おわり

◇「山重なり 水複なりて(路、無きかと疑う)」南宋、陸游「山西の村に遊ぶ」より
◇書=力強く
◇印=「路、無きかと疑い、又一村(邨)」

フジサンケイビジネスアイ2008年09月30日

簡潔流麗な仮名に先人の創意-書・刻・雑言<40>

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ひらがなは美しいと改めて思う。漢字の角を落とし、牙を摧くように崩してゆく。草書体、万葉仮名。繁から簡を求めるだけではかなの誕生はない。書き並べて比較すると劇的な変身に気づく。平安初期という”蛹”の中で一点一画は融解し再生を経たのだ。

簡潔流麗な仮名という美しい蝶の羽化。その飛翔に先人の創意を思う。休日。諸賢お手近の紙とペンで一覧表の書写はいかがか。脳トレ?ちょっとハードかなぁ…。

◇書=「(漢字の)草書体とかなの比較一覧」
◇印=「落角摧牙」角を落とし牙を摧(砕)く
唐、庾信「枯樹賦」より

フジサンケイビジネスアイ2008年09日23日

涼風の中 高みへ登る-書・刻・雑言<39>

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旧暦九月九日は重陽、菊の節句。高みへ上り、飲食歓談して邪気を祓う風習がある。「積雨」ともいうべき長雨と猛暑を過ぎて、初秋、新涼の山気が人を健康にする。

マイナスイオン、フィトンチッドはピンとこない。新涼に登高する山の清冽を思うだけでもよい。古里の一木一草を思うことにしよう。

「天涼しく、人健なり」と白居易、「燈火、稍く親しむべし」と韓愈が励ます。「どーれ、もうちょいやってみっかあ」

◇「新涼に登高す」
◇書=明るく健康に
◇印=「積雨、霽れる」唐、感愈『符、書を城南に読む』より

フジサンケイビジネスアイ2008年09月09日

信頼しよう 夢の卵-書・刻・雑言<38>

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禅語「啐啄同時」を教育の要諦とする著録は多い。卵の中で雛がそつと殻を突く。子、生徒の成長発達だ。応じて母鳥がたくと外から打ち返す。親、先生の助言援助だ。その時、タイミング「同時」が大切だ。期待のあまり、尚早に殻を破ってはならない。一人格、可能性、夢の卵なのだ。夢を破れば異形となってナイフを手に職員室に向かう。

見守り、育み、飛躍の好機を待つのだ。信頼しよう。誰もが持つ夢の卵を。

◇「啐啄同時」=『碧巌集』より。好機を得て、両者、相応ずること
◇書=「そつ たく」二音が響き合うように
◇印=「啐啄同時」同出典

フジサンケイビジネスアイ2008年09月02日

迷うこともひとつの手?-書・刻・雑言<37>

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(合掌)「これでいいのだ」と赤塚不二夫氏。「……だっていいじゃないか」じゃ相田みつを氏。弱さ、迷いを受け容れ、恕す言葉にはホッとする。

道元禅師は力強い。分厚い掌でドンと背を押す「我が身おろかなれば、鈍なればと、卑下することなかれ」(正法眼蔵随聞記)。こうも言う「大悟也一隻手、却迷也一隻手」。

悟に至るなぞ及び難い。だが迷うことも一手と悟る……か。ややこしい。解らない。それでいいのだ。

◇「大悟也一隻手却迷也一隻手」道元『正法眼蔵』”大悟”より
◇書=解らぬままに朴朴と
◇印=「大悟、一隻手、却迷」ネガとポジ

フジサンケイビジネスアイ2008年08月26日

“食”は喜びの心をもって-書・刻・雑言<36>

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食事などを告げる合図。禅家では雲版、鐘板を打つ。木製のものは裏面が刳り貫かれ(掲載拓本の中央部分)ポクポクと高く鳴る。僧衆の食事を司るのが典座。食品の入手、管理、調理を行う。その心得を道元禅師が記す。「典座教訓」。禅師の言葉は難解だがこの用心集はやや平易だ。

「喜心。喜悦の心をもって、誠心にして作せ!」

私たちに、食に係る総ての人に。この教訓は据えられているだろうか…。

◇喜心=よろこびの心 道元「典座教訓」より
◇書=刻字 拓本(採拓) 欅の鐘板に鑿を用いて
◇印=「誠心而作」同出典

フジサンケイビジネスアイ2008年08月19日

辞書を引き大海を楽しむ-書・刻・雑言<35>

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盛夏。静かな磯の潮溜まり。肩を背を陽に焼きながら小蟹を追い小魚を掬った。顔を上げ腰を伸ばし、磯の香を胸に大海を仰いだ。

言葉の海へ、文字の大海へ雄々しく出帆した人々。潮流を羅針を睨む。網を整え銛を研ぐ。言語文字の真理を攫み万人に示した大航海の記録が辞書、字典だ。

薔薇と書く優越、ハネトメへの拘泥、同音異義語の狡猾な設問等は”磯遊び”。日本人の誇る言語の大海に進み、引き、楽しもう。

◇大海を引く=唐、太宗 「聖教序」より
◇書=「集王聖教序」に倣う
◇印=「大海の法流を引く」同出典

フジサンケイビジネスアイ2008年8月12日

謙虚にご助言を頂く-書・刻・雑言<34>

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「辞書をひく」。中国語は「査辞典」。英語は「コンサルト ア ディクショナリィ」。コンサルタントは相談する人(相手)。辞書、字典に助言を求め、相談する姿勢を好ましく思う。

「一発検索!!」これは便利だが、謙虚に問い、求め、静慮する自分自身の存在を見失いたくない。

大先輩たちに尋ねよう。許慎先生、白川先生、「この一画の意味は何ですか?どう書けば?」。半日、コンサルタント、相談しご助言を頂く。

◇「尋求」たずねもとめる
◇書=楷書 威儀を正して
◇印=「謙虚」すなおに

フジサンケイビジネスアイ2008年08月05日

揺らぐ礎石を据え直す-書・刻・雑言<33>

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書道をする者にとって書聖、王羲之の書は基礎であり同時に完成の形である。

何事によらず必ず知り、体得すべき基礎がある。古典、基本技術、知識等々。継続にあたって基礎中の基礎、覚悟が問われる。腹を決め。腰を据え、胸が張れているだろうかと。”品格”などと括れない。誰もが迷いもがくのだ。迷妄の中で礎石が浮く。意志が揺らぐ。……顔を洗って、動いた石を据え直す。叩き込む。不動の石は完成に近い。

◇「石を据える」
◇書=朴朴と強く
◇印=「礎」石礎(いしずえ)ガッシリと

フジサンケイビジネスアイ2008年07月29日

よき人々、楽しく集う-書・刻・雑言<32>

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書道の神様”書聖”王羲之(303~361)の絶品「蘭亭叙」が展覧されている(9月15日まで。東京都墨田区、江戸東京博物館。『北京故宮、書の名宝展』)。

その優美についてはさて措く。文章がよい。朗らかな晴天の下、良き友(=群賢)と若、老(=少長)が集う蘭亭曲水の宴。その歓喜を謳歌する。

二寸五分角の大印材にその名対句を篆刻する。「ようこそ」と友を招く広いエントランスが我が家にあれば掲げたいところだが…。

◇「群(羣)賢、畢く至り、少長、咸、集る」 王羲之「蘭亭叙」より
◇印=(1)75ミリ角、力強く
(2)天、朗らかに、気、清し。同「蘭亭叙」より

フジサンケイビジネスアイ2008年7月22日

集う俊英、北京五輪に想う-書・刻・雑言<31>

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日本男子バレーボールは1972年ミュンヘン五輪で優勝している。準優勝、対ブルガリア戦は奇跡的な死闘だった。今は亡き天才セッター猫田が挙げ、大古が横田が森田が打った。その勝利に誰もが震えた。

翌73年、主将中村勇造氏が金メダルを胸に、私の母校、岩三沢東高校で講演された。お話よりも眼前の存在自体に感動していたと思う。

集う。俊英が競う。中国の内憂を踏まえ、スポーツの純粋に浸ろう。

頑張れ、日本。

◇「集う」つどう
◇書=「集」篆書 郡鳥が木に集まる形
◇印=「咸 集」 王義之「蘭亭叙」より

フジサンケイビジネスアイ2008年07月08日

土中の重責、軽快を支える-書・刻・雑言<30>

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竹林に根切った溝の中で竹根に見惚れる。

小指の太さで走る根は次第に先細るかと目を移すと、なんと次第に太くなる。足の親指ほどに柔らかく膨れ白く光り、1㍍余も続く。表面はまだ枝の根がなく滑らかなので、抽くとズルリと抜ける。一匹の白蛇かと見紛う。美しい。竹の核心部。岩を避け、水を嗅ぐ探知機。最先端の鋭敏な決断者だ。土中の重責が若竹の軽快な繁茂を支える。

「社長さん」とはこの白蛇か?……土に座す。

◇「根、深くして 葉、茂る」「韓非子」「老子」ほか
◇書=隷書 力強く、伸伸と
◇印=「重は軽の根たり」老子 第26章より
フジサンケイビジネスアイ2008年07月01日

“根切り”の汗、愉快愉快-書・刻・雑言<29>

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地を掘ることを”根切り”という。植物の根を切って掘り進むからだ。

先日、友人所有の伸張を遮断するための溝を掘った。スコップと鋸と鉈で竹根と闘う。正に根切り。朝露と土と汗で泥まみれだ。「何してんの書道の先生?」と思うと笑ってしまう。愉快愉快、愉愉快快。

荘子が言う。「愉愉(ゆゆ:正しくは新聞記事の漢字)じゃ。無心で作為なく、嬉しく、楽しくだ。そうすりゃ長生き、憂いもなしだ」と。一日の愉愉、ビールが旨い。明日、小筆は提てないけれど…。

◇「愉愉(ゆゆ:正しくは新聞記事の漢字)」嬉しく楽しいこと。「荘子」天道編より
◇書=隷書 楽しく躍る
◇印=「愉愉なれば(者)年寿も長し」 同出典 竹根形

フジサンケイビジネスアイ2008年06月24日

若き人へ、竹林に想う。-書・刻・雑言<28>

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近くの神社に竹林がある。今、若竹の緑が美しい。つい先日の竹の子は、日一日と伸びて今や背丈は先輩たちと変わらない。褐色の表皮を脱ぎ、淡緑の枝葉を現し、一節ごとに二本の眉をキリリと宙に描く。地平から直上し噴出する水の柱だ。

若竹の如く、悩みを振り掃い、自己の決断を信じて、日日新たに伸びてゆこう。賞賛はいらない。空へ、惟、一心に向かうのみだ。静かに、根を張ることを忘れるな。行け、GO!

◇「空へ 若竹のなやみなし」(種田山頭火の句)
◇書=直上する線を竹に見立てて
◇印=「唯一心に」

フジサンケイビジネスアイ2008年06月17日

激しくも温かい眼差し-書・刻・雑言<27>

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毒を含む、棘のあるお説教を吐くので、怖がられ疎まれがちな人がいる。その実、この人、とても繊細な、ロマンチストなのだ。仕事に厳格、人に誠実だ。その鋭敏、清冽な心を強面と毒舌で鎧う。事を興し、人を率い、研究、創造する人にその性向がある。”少年老い易し”と叱正した大儒、朱熹もその一人。

鎧を脱いで、顔を和ませ、優しく語る方がよい。和顔愛語。厳しくも温かい眼差し。「円くなったねえ」

◇和顔愛語=顔は穏やか、言葉は優しいこと。無量寿経、他より
◇書=隷書 穏やかに 朗らかに
◇印=「和顔愛語」繊細に

フジサンケイビジネスアイ2008年06月10日

情緒がこもった”お説教”-書・刻・雑言<26>

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「少年老い易く、学成し難し。一寸の光陰、軽んずべからず」。耳の痛いお説教だ。前回、豪気を発しホロ酔いで山を下っていた大儒、朱熹の七言絶句。その起、承句である。転、結句は華麗に一転する「ほら、池の辺に春草が萌えている。その淡く、青い夢が醒めやらぬうちに早くも秋、庭先の梧桐が葉を落としている事に驚くのだよ」(意訳)。青春と老境を春草と落葉に喩え、前半の警句に比べ、情緒に満ちて美しい。

◇春草のゆめ
◇書=やわらかく
◇印=「春草 梧葉」(ネガとポジ) 朱熹「偶成」より

フジサンケイビジネスアイ2008年06月03日

働く壮年、山中の“豪気”-書・刻・雑言<25>

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「ゴーキなもんだ」と言う時にこの「豪気」を使う。その剛健な生気を発し、何かを叫びつつ、山を駆け下る男がいる。しかもホロ酔いだ。「濁酒三杯、豪気を発し、朗吟、飛び下る祝融峯」!その威勢やよし。「中華五嶽」の一、南岳衡山はなだらかな山。そのピークが祝融峯だ。昔、友と2人、遊んだ山だ。

さて、痛快なのはこの詩の作者があの大儒学者、朱子学の祖、朱熹である事だ。”さあ仕事だ”麓へ、人の中へと帰ってゆく壮年の姿。

◇豪気=壮快な意気、またすばらしいさま。豪儀とも
◇書=力強く、豪壮に
◇印=「濁酒三杯、豪気を発す」南宋、朱熹「酔いて祝融峯を下る」より

フジサンケイビジネスアイ2008年05月27日

がんばろう「四川」-書・刻・雑言<24>

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中国、四川省の巨大地震。多くの死者と瓦礫の下に残る人々。胸が痛い。衷心より同情し復興を願う。

「禍を省み」てほしい。児童、生徒の頭上からスラブ、床が落ちたのだ。強度の不足は人災ではないか。

これぞ真に書だと思う「復興」がある。焼土と化した広島で消し炭を持つ指先を擦りつけて、強く太く筵に書かれている。「文房四宝」筆墨硯紙なんぞ超越して輝く。広島市が保管する。

四川の復興を切に祈りたい。

◇復興=復興る
◇書=強く太く
◇印=「省禍再起」禍を省み再起す「漢書」より

フジサンケイビジネスアイ2008年05月20日

さあ帰ろう、真の自分に-書・刻・雑言<23>

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「舟は遥遥(ようよう)として軽く颺(あが)り 風は飄飄(ひょうひょう)として衣を吹く」

寒風を帆に満たし舟は川面を滑る。”さあ帰ろう”古里へ、真の自分に帰るのだ。舳先に立つ男の微笑み。

官を辞して後この男は「力耕、吾を欺かず」と畑仕事に汗を流し「紙筆を好まぬ」不勉強な息子達を嘆きながらも「悠然と」山を愛で「歓然と」酒を、人を愛して生きた。

幸福とは何か分からない。しかし理想像のひとつがここにある。

◇舟遥々 風飄飄 陶淵明 帰去来の辞より
◇書=のびやかに
◇印=閑飲自歓然(しずかに飲みかわして楽しく)陶淵明の句

フジサンケイビジネスアイ2008年05月13日

快活な健児「団塊の世代」-書・刻・雑言<22>

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団塊の世代、その先輩を若輩が”お疲れ様”などと労うも憚られる。皆様とてもお元気なのだ。職を退き一身は軽く、新展開に時を得て、意気は益々軒昇だ。少なくとも私の知る団塊諸氏は快活な健児が多い。

心身に傷を負ってもおられよう。そこを秀逸な軽口で笑い飛ばす。「昔は”投石”今は”透析”どお?」「どおってその…おだいじに」

欣然として官を辞し「帰りなんいざ」と陶淵明は真の自己に向かった。

◇帰=かえる
◇書=濃淡を交えて
◇印=「歸去来」(かえりなんいざ)。陶潜「帰去来の辞」

フジサンケイビジネスアイ2008年05月06日

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