憂いを忘れ まず一献-書・刻・雑言<21>

21_sankei_20080429

「不安定なのさ、つま先立ちや大股じゃあね」と老子の語を引いて”騒乱”の続く中国を憂いた。ふと、個人に立ち返って考える。誰も自ら好んで無理を貫き背伸びをして生きようとは思わない。後々になって「あの頃は焦っていたなあ」「あの判断はあれでよかったか…」と苦く思い起こす。蹉跌はまた続く。憂いを忘れる酒に秋菊び英を浮かべて、騒乱の「世を遺れよう」と嘆いたのは老子を好んだ陶淵明であった。

◇跂者不立=跨者不行 老子第24章
◇書=対句を一体化
◇印=忘憂遺世(憂いを忘れ世を遺る) 陶淵明 飲酒其七

フジサンケイビジネスアイ2008年04月29日

中国よ「責任ある大国」たれ-書・刻・雑言<20>

20_sankei_20080422

いがらし・らんさんの中国情報、本紙掲載「ヤマトナデシコ大陸奮闘日記64」に快哉を叫ぶ。「五輪開催国にふさわしい『責任ある大国』として振る舞え」。まさにわが意を得たり、よくぞ言ってくれた。書道に首を突っ込むとその源流の国への関心は宿命的だ。愛着とともに恩義がある。心配なのだ。人権という国家の足元が定まらない。

老子が言う「つま先立ちじゃあ、長くは立っていられないねえ」

◇先得我心=先に我が心を得たり
◇書=柔らかく
◇印=跂つ者は立たず 「跂者不立」 老子第24章(前掲「跨者不行」と対句)

フジサンケイビジネスアイ2008年04月22日

誇り高き中国への危惧-書・刻・雑言<19>

19_sankei_20080415

「不解放」。1980年代、中国の旅先で公安当局に幾度か言われた言葉だ。「外国人旅行者にその都市は開放されていない、不解放!」

チベット自治区民衆デモ。死者が出た。自国人民に弓を引くな。多民族個々の文化の尊厳を恕容してこそ大国たり得るのだ。情報は世界に開放すべし。誇り高き中国のその矜持は自身が不解放ならば陳腐化しかねない。

貴国の老子が言う「大股で跨ぐのかい、遠くへは行けないねえ」

◇開放=あけはなす
◇書=強く伸びやかに
◇印=跨ぐ者は行かず「跨 者 不 行」
老子 第24章

フジサンケイビジネスアイ2008年04月15日

人は人に磨かれて-書・刻・雑言<18>

18_sankei_20080408

前回、切磋琢磨の語は「儒教的な教訓に変貌」と書いた。後に付加された解釈の中では出色なのは「朋友あい互いに励ましあって」と、第三者「友」に言及する点である。言を成すとき、友との連携は楽しくまた不可欠だ。しかし、変革”切磨”への意志”刃先”は自己自身に向けられるべきものと思う。その自己をもって人と対応してゆく。人、人、人の中で砥がれ、磨かれてゆくのだろう。「遠いなぁ…」と思う

◇切磨=切磋琢磨の略。学徳、人格の修養
◇書=行書、強く
◇印=Sessa Takuma

フジサンケイビジネスアイ2008年04月08日

切磋琢磨する人の幸福-書・刻・雑言<17>

17_sankei_20080401

「切磋琢磨」は原典「詩経」の中では領主の武公を賞賛する語だった。「輝く領主様、その御姿は彫琢研磨されて光る玉器のよう」と。「論語」「大学」への引用、大儒朱熹らの注釈により儒教的な教訓に変貌、定着する。ともあれ好きな語句だ。歯切れの良い音の響きに刃物を連想する。小刀、鋸、鑿、鉋。若い頃の汗と仲間を思う。今日もなお、利害得失をも含めて相対し、切磋琢磨できる人は幸福といえるだろう。

◇切磋琢磨=出典「詩経」淇奥篇 玉、石などを切り磨くように学問、道徳の修養に勉めること
◇書=楷書 鋭利に
◇印=切ま ネガとポジ

フジサンケイビジネスアイ2008年04月01日

心に「穴」を抱えて生きる-書・刻・雑言<16>

16_sankei_20080318

梅を見にゆく。一本の老木に会いにゆくのた。小柄なその木は今年も白い花を付けていた。その姿が凄まじい。枝は幾重にも屈曲してうねり、樹幹は捻れ傾き、半身が砕けている。大枝の断裂の痕、瘤の数々。其幹部は抉り取られて虚となり、ポッカリと大穴が開き、暗く深く樹身を穿っている。

何かを吸収し、獲得してきた、いや違う。何かを殺ぎ落とし、挫折し、諦めて今ここに生きている。その姿は凄まじくも美しく、誇りに満ちて神々しい。誰もが心に「穴(穿)」を抱え、内蔵している。離別、病、過去…。けれど、生きてゆく。小さくと香り高い花を咲かせてゆく。来年も、また次の年も。

「老梅や 蔵せる白を 尽くしけり」  北澤瑞史先生句

◇抱穴=北周・庾信「枯樹賦」より
◇書=「抱穴」初唐・褚遂良の書を臨模。黒紙に白墨にて
◇印=藏穿 穿を蔵す。「枯樹賦」より

フジサンケイビジネスアイ2008年03月18日

子の名に願いを込めて-書・刻・雑言<15>

15_sankei_20080311

北海道日本ハムファイターズの大物ルーキー・中田翔君が注目されている。

この「翔」の文字が子供(男子)の名前に多く使われはじめて18年以上がたつ。羽を広げて鳳の如く大空を行く、華やかで外交的なその命名。ただ私にはちょっと気恥ずかしい印象があった。

対照的なのは「悠」だろうか。

”はるか” ”おもう”とも訓ずるその字は、内向的だがゆったりとのどかな心の自由を表す。

子供の名前には、親の願いが結晶している。その背景には確かに時代が流れていた。

悠、悠然とくれば陶淵明の連作詩の中にある名句「悠然として南山を見る」であろう。

◇翔=ゆったりと飛ぶ
◇書=「翔」草書、強く大きく
◇印=「悠然見南山」。陶淵明「飲酒」其五より

フジサンケイビジネスアイ2008年03月11日

印は信義を明らかにする-書・刻・雑言<14>

14_sankei_20080226

印は「信」を表すものである。印章、また信璽と呼び、信義を明らかにし、信頼を得んと願うものである。「篆刻三法」という。印を刻す時に大切な三本の柱である。一に学法。正確な字を使用すること。二に章法。正しく配置、デザインしなさい。三に刻法。繊細にかつ大胆に、刃をもって字画、空間に生命を与えること。

これらの要件をほぼすべて欠き、否定し、それでいて通用している印がある。わが日本国政府、役所、自治体の印である。保険証、パスポート、年金領収通知書、等々。正確な篆書ではない、篆書めかした誤字、作字が、縦書きでなく横組みに並び、無表情な線に命はない。「社会保険庁長官之印」、信は得られない。

◇信義=まこと正しさ
◇書=篆書。きびしく、ひきしめて。
◇印=「鐫石表心」。石に掘りて心を表す。造象記より。

フジサンケイビジネスアイ2008年02月26日

“倹”のその先に“慈”がある-書・刻・雑言<13>

13_sankei_20080219

「先ずよしと足でおし出すたんぽかな」(小林一茶)

湯たんぽが売れているそうで、我が家にも1個登場。朝、押し出されたものを拾い上げて「よくこれで顔を洗ったなあ」と思い出す。

でも、ちょっとめんどうだと思ってしまう。重い。袋から出さなきゃ、堅い栓をひねって洗面器に注ぐ。

しばれる北海道の早朝、いつくしむようにたんぽの湯を両手のひらに掬い上げた気持ちは今はもう消えている。

前夜、家族の人数分だけ湯たんぽを並べて石炭ストーブで沸いた熱湯を注ぎ込む母の姿は儀式のようだった。

”倹”もったいないのその先に、”慈”いつくしむ、があるのだろう。少々手間ひまかかるけれど。

◇いつくしむ=大切にする。かわいがる。愛する。
◇書=かな、連綿を用いて、おだやかに。
◇印=「一に曰く慈、二に曰く倹」。「老子」第67章より。「私は宝物を持っているよ。その一は愛すること、その二は倹約することさ」

フジサンケイビジネスアイ2008年02月19日

混濁の末の穏やかな清澄-書・刻・雑言<12>

12_sankei_20080205

タオ(道)の修道者。それは、さわやかな、「老子」第15章が語る人物。意訳を交えて、その印象は次のようになる。

『穏やかで、静かな人がいる。にこやかにこちらの話を聞いている。飾りのないその言葉は真を貫いている。清冽な決断。その発想法は混濁の末に得たものだろうか。濁った水がやがて澄んでくるように。そして誰もがその人を慕う。ネットワークは氷が解ける滑らかさで拡がる。油断はなく、いつの間にか動いて、何か新しい物を生み出している』

具体的に幾人かの顔が思い浮かぶ。教えをいただいた恩師、先輩、上司…。読者諸賢はいかがだろうか。

◇清・濁=きよらかなことと、にごれること。「老子」第15章より
◇書=草書で簡潔に。濃淡をまじえた。
◇印=知白守黒 白を知り、黒を守る。「老子」第28章より。加島祥造氏の口語訳『タオ 老子』(筑摩書房)では「君のなかにある白くて清いものを意識しつつ、黒くて汚れたものとともに居る」とする。
・朱白相間(ネガとポジ取り混ぜ)
・回文(篆刻では右上から時計と逆回りに字を配すること)としました。

フジサンケイビジネスアイ2008年02月05日

悠久の時が育む大きな夢-書・刻・雑言<11>

11_sankei_20080122

『老子』が読まれている。

欧米文学者で詩人の加島祥造氏による平易な口語訳であり、新鮮な啓発は現代社会への警鐘、また癒しとしてブームともなっている。

中国の古典・老子には英訳のほか、諸外国語の翻訳本も多い。道教のテキストというより「美しい詩」としてとらえているという。

「大器晩成」

できの悪い子に対する慰めの言葉ではない。悠久の時間を経て現前する大自然への敬意。そして一人一人の持つ可能性と、夢への信頼が込められている。

”小器即製”は悲劇を生む。ゆっくりと進むその先に、きっと充足がある。

ザ・グレーテスト タレント マターズ スローリー<The greatest talent matures slowly>

◇大器晩成=『老子』第41章より。大きな器は早くはできない。人も大才は速やかには成就しないの意。
◇書=隷書で重厚にのびやかに。
◇印=漢篆(篆書の一種)で穏やかに。陽刻朱文。

フジサンケイビジネスアイ2008年01月22日

法則なし「遊んでやがる!」-書・刻・雑言<10>

10_sankei_20080115

「瓦當(当)」にもう一回だけおつきあいを。

漢代の作例「永く、久しく、楽しき哉、家」を模してみる。2000年もの昔、楽しい瓦に囲まれた家を夢想する。と同時に、その文字の配置、デザインの妙に驚嘆してしまう。

90度の扇形。その中での文字の変化を分類してみたことがある。正体、湾曲、回転。同心円で外向き、内向き。それらの複合されたもの…。一定の法則がない。千変万化、分類不能か…。

ふと気づく、「こいつら、遊んでやがる!」。

作例の「永」はクラゲのように漂う。「久」はガニ股で酔っぱらう。「楽」はあくびをし「哉」は深呼吸。「家」が中心で笑っている。

水が方円の器に随う如く、限られた空間にあっても創意と工夫でもっと自由に、などと教訓めいたことは言うまい。

太古の名もなき陶工、瓦職人。融通無碍ともいえるその熟達、自在な文字のあそびに見惚れることにしよう。

◇永く、久しく、楽しき哉、家=ずっとしあわせな家でありますように。
◇瓦當(当)=屋根の軒先に葺く丸瓦。その先端部の円内の文字が「瓦当文」
◇書=漢代瓦当文の模刻 石膏版に刻字し、拓本に採った(原刻は”長久”としているが”永”を用いた)。
◇印=「融通無碍」の「無碍」さわりのないこと。臨機応変、自在の境地。ガリガリとした感じで白文陰刻に。

フジサンケイビジネスアイ2008年01月15日

子歳に母と子の安寧願う-書・刻・雑言<9>

09_sankei_20080108

年頭、何かおめでたいものをと思う。「瓦當(当)」は屋根の軒先に葺く丸瓦の先端部分。その円形または半円形の中に文字を配したものを「瓦當文」と呼ぶ。中国漢代の瓦當文には、その家の長久と富貴を願う吉祥の語が多い(長楽万歳、延年益寿など)。

さて、今年は子歳。十干の「戊」と組み合わせると「戊子」の年。同音の「母子」に掛けている。穏健と平和を思い、「安寧」と続けて「母子安寧」。どんなに忙しくても、家族が健康で安らかなら、明日の仕事に向かえるだろう。子歳に生まれてくる子も産む母も安寧でありますように。

本年も拙作、拙文、御過眼のほど、よろしくお願い申し上げます。

◇母子安寧=母と子、また家族が穏やかで平和なこと。干支の戊子に掛けた造語
◇書と印=漢の瓦當文に倣う。羊頭状の吉祥文を配して石膏板に刻字し、拓本に採った。印の「戊子大吉」は、戊子の今年が大いによい年でありますように。青銅器に鋳込まれた金文に倣い、象形性を強調した陰刻白文。

フジサンケイビジネスアイ2008年1月08日

1年支えてくれた人たちに-書・刻・雑言<8>

08_sankei_20071225

多くの人に支えられて、また1年が終わる。わがままを恕していただいた人々の顔が浮かぶ。

ありがとうございました、と素直に言えない卑屈さに、身が縮む思いがする。

「刀折れ、矢尽きてここに 大晦日」は古今亭志ん生の句であったろうか。

自分は誠意を尽くしたつもりでも、結局は空回り。腹も立たずにグッタリしてしまう。

謙虚に反省。意を込めて書き、刻す。「今年も1年ありがとうございました」

◇感謝=ありがたさを感じて謝意を表すこと。
◇書と印=「感」は縦に伸びやかに。「謝」は横に広がってズシリと構えた。印は印篆(篆書の一種)に倣った。中央の縦画を太くした。

フジサンケイビジネスアイ2007年12月25日

日ごろの憂さを飲み干す-書・刻・雑言<7>

07_sankei_20071218

師走半ばを過ぎてのんきなことも言ってられないけれど、落語を聴くにはいい時節。寒風に雪、年の瀬を背景にした”季節限定”の噺が多い。「鰍沢」「鼠穴」「富久」…。「時そば」も冬が似合う。

「芝浜」が傑出している。酒と拾い物の銭で人生を棒に振りかけた魚屋。大晦日の夜に、女房から「3年前の50両」を打ち明けられる。頭を下げる女房に「まあ、お手をお上げなすってくださいやし」(ここでなきそうになる)。

断っていた酒を鼻先へ。と、酒の器を置いてしまう。スカッとした下げ。古今亭志ん朝の秀麗な高座を思いだす。

落ちの後で、この主人公、やはり酒を口にしたと思う。しみじみとした、さわやかな酒だ。

◇忘憂=憂いを忘れること。転じて、酒の異称。
◇書と印=陶淵明『飲酒』其の七に「忘憂の物」から。行書で柔らかく、淡墨を混ぜて楽しく書いた。印は『飲酒』其の九から。「共に此の飲を歓ばん」。朱文陽刻(凸)で、ややユーモラスに。

フジサンケイビジネスアイ2007年12月18日

革新へ向けた誠実な叫び-書・刻・雑言<6>

06_sankei_20071211

「流行語大賞」が発表された。これは、と飛びついて快作ができたためしがないけれど、思い立って書いてみる。東国原英夫宮崎県知事の”名言”。

「このままではだめだ」「なんとかしなくては」と叫ぶ。土臭く、率直で誠実なことばだと思う。

多くの地方自治体と同様、宮崎県も財政困難だという。裏金も発覚。固陋(ころう)と旧弊が残した負債。知事の給与は24万と聞く。

古い体質の組織。その変革は一朝一夕では無理だろう。一作、一策、ノミを表す「鑿(さく)」の字、削るべきは削る「削」の字が思い浮かぶ。忙しく飛び回る人よ、頑張れ。

◇どげんかせんといかん=どうにかしないとダメだ、の宮崎県方言。
◇書と印=書は土臭く、骨太にし、一つの固まりを意識した。印は作、策、鑿、削の4字を並べ、篆書の白文(凹)に倣った。

フジサンケイビジネスアイ2007年12月11日

極月の酔態は恕される範囲で-書・刻・雑言<5>

05_sankei_20071204

「ゆるす」という字はいくつかある。許す、免す、赦す、などなど。心情的な、思いやりをこめてゆるすというときには「恕」が使われる。「ご寛恕のほど」「仕方がないから恕してやるか」などという。

隠蔽、怠慢、偽装、殺傷…。人として恕されないことがあまりに多い。けれど、良策も見いだせずに閉息する。恕することのできなくなってゆく自分に気づく。

恕さなければ息ができない。恕されてきたのだから、恕すことにしよう。陶淵明は言い放つ。

「君よ、当に、酔人を恕すべし」

酔っぱらいのざれ言、ご寛恕のほど、ゴメ~ンね、と。極月の酔態は恕される範囲で。

◇恕酔人=酔人を恕すべし。陶淵明(365~427年)の「飲酒」其の二十、最終句。
◇書と印=恕を強調した、行書。印は「恕」を印篆(篆書の一種)に倣って陽刻で。L字形の辺を強くし、画は左から右へ細くした。

フジサンケイビジネスアイ2007年12月04日

「誓い」の安売り「言」失う-書・刻・雑言<4>

04_sankei_20071127

「言」は約束であり「誓い」であったという。

文字学の泰斗、故白川静先生によれば、言は辛と口。辛は入れ墨に用いる針の形、口は誓いの言葉を収める器とし、もしその言が守られないときは。入れ墨の刑を受けるという。

「公約は守らなくてもいい」「記憶にばう」…官民ともウソが当たり前の時代。文字の成り立ちを考えると、あまりの変容に「言」を失う。

◇言=口に出してものを言うこと。言葉。言を食む、言をかまえる、はいずれも偽りの意味。
◇書と印=書は率直で素直な線を意識した。印は甲骨文字(亀甲や獣骨に刻された中国最古の文字)を参考にした。

フジサンケイビジネスアイ2007年11月27日

忙中の心のゆとり-書・刻・雑言<3>

03_sankei_20071120

子と銀杏を拾いにゆく。頭上の葉はまだ青青としたままだ。黄色の落葉が一面に散り敷くのはここ東京ではまだ先のことか。

郷里北国の、雪の前の凛冽とした空気を思う。落ち葉を焚く人も少なくなった。読者諸賢の地ではいかがだろうか。一会と想える人や物と出会えた日は楽しい。

師走も近い忙中の心のゆとり。

◇落葉焚く人も一会の人となす=俳人北澤瑞史先生の句。歩いているときに落ち葉を燃やす人と会うのも一つの出会いである。
◇書と印=柔らかな行書で人と人を中央にそろえて左右対称とした。印は篆書を刻すのが基本。ここでは草書を刻してみました。

フジサンケイビジネスアイ2007年11月20日

拙くても速やかが一番-書・刻・雑言<2>

02_sankei_20071113

「拙速にすぎた」「その判断は拙速と言わざるを得ない」

最近の新聞などでは、無責任な見切り発車の語感とともに、あまりよい意味では使われませんが、私は好きな言葉の一つです。

「ありがとう」「ごめんなさい」。礼状もお詫びも、拙くても速やかが一番。「巧遅は拙速に如かず」という言葉もあります。

開拓者と呼ばれる人の多くは「拙速」ではなかったか。誹りと批判は傍観者の常。信念と勇気を「拙速」に思い、躊躇と慢心を「巧遅」に感ずるのですが。

◇拙速=拙くてもはやいこと。対語に「巧遅」
◇出典=「孫子」(作戦編)、「晋書」
◇書と印=書は強く硬質な線を意識して速く書きました。印は朱白相間(ネガとポジ取り混ぜ)、回文(篆刻では右上から時計と逆回りに字を配すること)としました

フジサンケイビジネスアイ2007年11月13日

« 前の一覧を見る

» 次の一覧を見る