極月の酔態は恕される範囲で-書・刻・雑言<5>

2015年2月5日

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「ゆるす」という字はいくつかある。許す、免す、赦す、などなど。心情的な、思いやりをこめてゆるすというときには「恕」が使われる。「ご寛恕のほど」「仕方がないから恕してやるか」などという。

隠蔽、怠慢、偽装、殺傷…。人として恕されないことがあまりに多い。けれど、良策も見いだせずに閉息する。恕することのできなくなってゆく自分に気づく。

恕さなければ息ができない。恕されてきたのだから、恕すことにしよう。陶淵明は言い放つ。

「君よ、当に、酔人を恕すべし」

酔っぱらいのざれ言、ご寛恕のほど、ゴメ~ンね、と。極月の酔態は恕される範囲で。

◇恕酔人=酔人を恕すべし。陶淵明(365~427年)の「飲酒」其の二十、最終句。
◇書と印=恕を強調した、行書。印は「恕」を印篆(篆書の一種)に倣って陽刻で。L字形の辺を強くし、画は左から右へ細くした。

フジサンケイビジネスアイ2007年12月04日